広島 8.6

61年目の広島は花が咲いています

被爆者の平均年齢は74歳・・・

広島市内の小学生で8月6日と応えられるのは半数以下・・・

被爆建物は殆ど取り壊され・・

母校の袋町小学校の西校舎も・・・

黒板の下の壁から当時、肉親を探す伝言板が見つかり保存をされています

今残っている建物で思い浮かぶのは

旧日銀広島支店、福屋デパート、パン屋さんのアンデルセン本店(元は銀行でした)

街の様子からは遠い過去の事になったようです


一昨日、近所のスーパーでお友達のお母様と出会い

誘われるままにお宅にお邪魔しておしゃべりをしてて・・・

「私ね、あの時、広島駅に入る列車に乗っていて

ピカに驚いて徐行している列車から飛び降りたの

それで頭を打って、バカになったの、前はもっと偉かったのよ」

と冗談半分に言われました

折に触れては話されるんですが体験談としては

「思い出したくないので」と言われます

殆どの方がそう言われます

広島は今、「語り継ぐ」ことの困難に直面をしています


余談ですが私の生まれた家も被爆建物でした

約4キロ先の○印あたりで炸裂したそうです

ボロになったので30年位前に取り壊しました

この記事へのコメント

  • 広島でも長崎でもやはり、語り継ぐ事は難しいのかもしれませんね。
    だからこそ、日本が敗戦とかではなく「核」の持つ意味とかをしっかりお勉強して欲しいです。せっかく広島と長崎に生まれたのですから。
    大阪でもやはり忘れているみたいですね。(修学旅行でなんとかですが。)

    広島や長崎では凄いご苦労がたやすく想像できます。
    はだしのゲンなどを読んでいたのですが、やっぱりリアルな体験としては感じれません。当然なのでしょうけど。

    はだしのゲンは少年し向けにかなりオブラートに包んだみたいですね。
    それでも、衝撃はすさまじい物でした。

    戦争はエンターテイメントだという人も居るかと思いますが、
    私はエンターテイメントとは思えないのです。

    現実には戦争を行い、全ての人たちが何かしらの影響を及ぼし
    その影では何時も誰かが涙を流している。
    それは喜びの涙ではない、悲しみの涙。

    どこどこの国ではロケット弾を飛ばし、
    どこどこの国では犯罪者が居ると開戦し。

    多少の犠牲はいとわないと言われていて、
    その犠牲になる人の周りは?と考えます。

    小さな命と大きな命という区別も無いと思います。

    広島や長崎も再興できて良かったと思います。
    私の考えで恐縮ですが、被爆者の人たちはラッキーなのかもしれません。(前向き思考)
    後世に語り継ぐチャンスと「私が確かにあの時あの場所に居た」という事が出来るのですから。
    生きてきた証を残すのに苦労するのにそのチャンスを与えられたのですから。
    決して良いことではないしこれまでの苦労もあるでしょうが、
    「体験した戦争のむなしさや悲しさ」など、
    「本当の言葉で自分の気持ちで無形の財産と有形の財産」を残して欲しいです。
    次の世代以降はその有形無形の財産を守っていくべきだと思います。
    愚かで残虐な核兵器が無くなれば、また残虐な行為がなくなることを祈ります。

    (8:15分には黙祷をし、世界が平和にと微力ながら願いました。)
    2006年08月06日 10:47
  • ムサシママ

    さとるさま>
    ナイスとコメントをありがとうございます♪
    さとるさんはまだお若い方のようですね
    戦争のこと核のこと、そして人の命の重さを真剣に考えていらっしゃるようで心強いです
    被爆者の方は地獄を体験されていて、それがトラウマになり今でも大変苦しんでおられます
    語り継いでおられるのはほんの一握りの方で
    皆さん忘れたい、でも忘れられるものではないと言われます
    私も子供の頃から周りの大人の日常会話として聞いてきました
    聞いてるだけで身の毛がよだつことを淡々と話されるのです
    資料を見たとしても、あの時を想像するのは不可能です

    今、イスラエルとヒズボラが戦争状態で中東は一触即発の危機の中にいます
    傷付き苦しみ悲しむのは弱い無抵抗の罪のない人々です
    でも、悲しいかな世界の指導者と呼ばれる人々でさえ争いを辞めさせる事はできず国連も有名無実に成り下がっています
    この争いで核兵器が使われないことを願うばかりです。
    人間とはこうも愚かな生き物なのかと・・・でも、希望だけは捨てません。
    2006年08月06日 11:11
  • えーっと私はもうすぐ四捨五入で30歳(汗
    真剣というか、最近「死にたい」という衝動に駆られその手のサイトを巡っていて善の心が再燃しました。(爆
    動物実験の写真を見たり、人の無残な死に方の画像を見たりしていると原爆の恐ろしさというのが多少なりとも分かる気がしています。
    たまに見ていて、戦争ってリアルにあんな事が普通に行われているんだろうなぁって。
    そんな事までして、そんな事までになってまで守りたいものってなんだろうって考えます。
    原爆で被害を受けた人たちも極論はPDSDみたいな事になりフラッシュバックで記憶がよみがえるのでしょうね。
    私の幼少の頃の障害なんて比べると使用済みで道端に捨てられた鼻紙見たいな物と思えます。

    語り継げる人は本当に少数なんでしょうね。
    語れる人語れない人もすばらしいことだと思います。
    同じ事を強烈に覚えてもその人の考えで次の世代には伝えないという選択も正しいと思います。
    私もブログを通さなければ「語る」なんて語りたくないぐらいだし。

    それ以上のことだから忘れられないでしょうね、さらにアンナ目にあったら。
    私も同じなら口を紡ぐかもしれません。

    どこかで誰かが戦っているけど、人事なんですよね。
    私も多分、まだやっていたの?!と思うぐらいですし。

    世界から核兵器を無くしそれ以上のものもそれ以下のものも未来永劫出てこないで、使用されないことを願います。

    私は戦争で核を使ったら使った国をかなり批判するでしょう。
    せめて日本人として、被爆国の一員として。
    教訓は生かして欲しいものです。

    一体いつまで人類の血を流せば気が済むのかわかりません。
    でも、何時か全ての人が気が付いてくれる事を願っています。
    2006年08月06日 12:40
  • 61回目、ご冥福をお祈ります。
    被爆した人には話したがな経験、教育現場では現代史を教えていないはがゆさ・・・
    ムサシママさんが産まれた家は被爆建物だったんだ・・・30年前に建て替えられたとはいえ、被爆して30年も無事建っていたんですね・・・
    平和の尊さは大切なのに、中東で紛争が多い。悲しい人間の性。。。
    2006年08月06日 13:06
  • カイ

    起こった真実を
    後世に伝えるのも大変なんですね・・・
    2006年08月07日 10:03
  • ムサシママ

    さとるさま>
    お歳・・・失礼しました
    私よりも若いと言う事でご勘弁を( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
    さとるさんってとってもデリケートで優しい方なんですね
    物事を真剣に考え過ぎて入ってはいけない領域に踏み込もうとされたなんて・・・善の心が再燃してほんとに良かったです
    世の中には目を覆いたくなる事、耳を塞ぎたくなる事が溢れています
    理不尽な事が大手を振ってまかり通っています
    現代人はそれらの情報を如何に自分の中で上手く処理をしていくかが問題ですね
    最近は自分さえ良ければいいと言う人が多くなり他人の苦しみ悲しみに耳を貸さない人が増えているらしいですね
    いつか自分にも降りかかる可能性だってあるのにね

    >一体いつまで人類の血を流せば気が済むのかわかりません。
    >でも、何時か全ての人が気が付いてくれる事を願っています。
    今現在も血は流され続けています
    小さな声でもみんなが声を上げればいつかは真の平和が訪れると信じていくしかないですね

    nekoさま>
    nice&コメントをありがとうございます♪
    現代史は先生が避けているのかと思うくらい習っていないです
    ちゃんと教科書には載っているのにもったいないです
    この家はちょっと高台にあるので爆風をもろ受けたみたいなのですが
    洋館建てでしっかりしていたので大丈夫だったみたいです
    でも、ほんとボロでした

    中東の戦火は拡大していくみたいですね
    イラクももはや内戦状態らしいしアフガニスタンもタリバンが勢力を吹き返したって言うしイランは原理主義オンリーで核開発をしてるらしいし悲しすぎますね

    カイさま>
    nice&コメントをありがとうございます♪
    もう諦めの境地かと思われます
    無関心と言う魔物がはびこっているようです
    2006年08月07日 13:46

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